おたくとは、1970年代[1] に日本で誕生した呼称でありポップカルチャーの愛好者を指す。オタクまたはヲタクとも称される。
元来はアニメ・ゲーム・漫画などの、なかでも嗜好性の強い趣味や玩具の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。その頃は「お宅族」、「オタッキー」、「オタッカー」と呼ばれた。明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括しており、その実態は一様ではない。
英語では「ギーク(geek)」「ナード(nerd)」という語があり、しばしばマスメディアなどでは安易に訳語として当てられたりしていることも見られるが、どちらも「おたく」とは著しく重ならない部分がある(「ギーク」にはサブカルチャーは含まれず、「ナード」はステレオタイプ・性格に対する蔑称である)。そのためもあり、21世紀頃から、日本語発音をそのままラテン文字転写した「otaku」も広く通用しはじめるようになった。
何某かの分野に熱中・没頭している人物を指して、その分野を接頭詞として「○○おたく」と呼ぶ・自称する場合がある(後述)。
Mục Lục
定義[編集]
「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない。俗には、萌えや秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。
辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される[6][7]。「おたく」という言葉は、もともと二人称として使われる言葉であり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた。辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである[9]。
商業誌における「おたく」という言葉の初出は、1983年に中森明夫が『東京おとなクラブ』の出張版[10] としてロリコン漫画雑誌『漫画ブリッコ』(白夜書房)6月号から連載したコラム「『おたく』の研究」である。ここで中森はコミックマーケットに集まって騒いでいる集団のことを「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達」とか「友達に『おたくら さぁ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」とか「どこのクラスにもいる、運動が全く駄目で、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする(中略)友達の一人もいない奴ら」等と評し、「こういった人達を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないので、我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにした」と蔑称・名詞として「おたく」という語を用いることを提案した。当時から「『おたく』の研究」に対する反論も多く、同誌編集者の大塚英志は「反論の文章は、実はケッコー沢山来てたのですが、感情に流されて自己破綻をきたしているものばかりで、載せるには至らなかったが、多少論旨は不明快だけど、ようやく読むにたるものがきた」として読者の反論を9月号の読者投稿欄に全文掲載している[11]。岡田斗司夫著『オタク学入門』によると、以後、アニメ・SFファンはおたくを自認するようになったとされる。(#おたく族も参照)
「おたく」という語はしばしば漫画やアニメーション、ゲームなどと強く結び付けられ理解される傾向にあるが、鉄道マニアやカメラマニア、SFファンや電子工作ファン、アイドルおたくやオーディオファン、あるいは勉強しか取り柄のない「ガリ勉」などまでもイメージさせる語であった[13]。また、この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性や対象となる趣味以外の常識に欠ける人に対しても使われるようになっており、特に一般の流行から乖離した趣味であればあるほど、また一般社会人(特に女性)が理解が困難な趣味のおたくは、現在でも嘲笑や差別の対象になるケースが多い[独自研究? ]。
1989年には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件がセンセーショナルに取り上げられ、犯人が特撮やアニメビデオの収集家だったことから、メディアに拡大解釈、歪曲されて拡散され、オタクは犯罪を起こす危険人物の変質者、異常者である、というネガティブキャンペーンが大々的になされた。現在でもオタクを否定的に捉える人々はこの事件にまつわる報道に影響を受けている場合が多い。また、フリーライターとして活動していた宅八郎が「おたく評論家」を自称し、まるで精神異常者のような扱い(宅本人も、意図的に狂人を演じていた)でテレビ番組に多数出演したことも「オタクは趣味に没頭し過ぎて精神が破綻した狂人、異常者」というレッテルが貼られた大きな要因となった。なお、ぬまきちはマスメディアにおけるオタク像のベースとして作家・編集者の蛭児神建[2] こそが起源であると主張し[15]、宅のスタイルについても蛭児神をメディアに出せるようマイルドにしたものに過ぎないと評している[4][16]。
[external_link offset=1]おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家の岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていた。精神科医の斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした[18]。哲学者の東浩紀はサブカルチャーとの結び付きを重視した[19]。ちなみに岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、おたくという言葉は肯定的に用いられるようにもなったという。また、なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われている。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される[22]。
類語・類型[編集]
古くは伊達者や酔狂者ともいい、「伊達や酔狂ではない」といった慣用句は、本来は生業と趣味の違いをさしたものである。いわゆる生業としての糧を得るために物事に没頭や陶酔するのと、「道楽」に没頭や陶酔することを分け隔てて考えていた。その他に好事家や物狂いなどがあり、現在では、愛好家とされるが、物狂いや酔狂からの転用で、「~狂」や「~きちがい」などの乱暴な言い回しがある。
マニア・知識人・学者との違い[編集]
強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア・知識人・学者とあまりかわらない。社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られる。概して、作品などについて評論など生産的活動を行ない、それが社会に受容されていれば知識人・評論家と名乗ることも可能だが、おたくは消費のみにとどまる(歴女、テツ(鉄)、声優のそれに対する「声豚」[24]など。「アニメ評論家」として著名なのは藤津亮太のみ。「声優評論家」は未だ存在しない)。
違いに関する意見[編集]
- 評論家
- 岡田斗司夫は、それが民俗といえるかどうか、すなわち独自文化を作り上げるかどうか、がオタクとマニアの違いであるとしている。マニアはできないが、オタクは「オタクっぽい服や口調」のように独自の文化を作り上げることができる、とオタクをポジティブに評価している。
- 社会学者
- 宮台真司は、マニア・学者とオタクの違いとして、前者は(例えばマニアであれば切手収集、学者であれば恐竜の研究など)その趣味を好むこと自体には他者にとっても理解可能であるが、後者については、その二次元コンプレックスなどが他者には理解不可能であるという違いを挙げている[26]。また別の説明として、マニアの没入対象には性の自意識が関係していないが、オタクの場合はそれが関係しているという点[注 1]を挙げることもできるという[28]。宮台の整理によると、1977年頃から若者の間で「オタク系とナンパ系の分岐」が発生しており、(魅力的ではなくなった現実を乗り切るために)現実を記号的に装飾し性愛に積極的にコミットするという方法(現実の虚構化)を選択したのが「ナンパ系」であり、逆に性愛から退却し虚構を駆使して現実から遠ざかる方法(虚構の現実化)を選択したのが「オタク系」となる[29]。
- 大澤真幸は、おたくと専門家・趣味人の区別として「意味の重さと情報の密度の不均衡」を挙げている。すなわち、通常であれば意味がある情報だからこそ集積されるという比例関係にあるのに対し、オタクの場合は意味の繋がりを持つことなく情報の集積それ自体が目的化しているのだという[30]。
- 樫村愛子は、1970年代には(単なるマニアではなく)コミュニケーション能力や時代への適応能力の欠如といったネガティブな面がオタク(文化)の重要な特徴となっていたが、近年ではマニアを含めた広い意味で用いられる傾向があるとしている[31]。
語史[編集]
「御宅」という呼びかけ[編集]
用語としては私的な場面で用いられる二人称敬称(「お宅様」=あなたさま)であり、庶民が使う「おまえ」「あんた」などの粗野な響きを嫌った山の手言葉であった[注 2]。小林信彦によれば、学生が「おたく」という言葉を発したのを耳にしたのは1950年代前半の学生運動の時で、初対面の人に対する「きみ」でも「あなた」でもない「距離をおいた呼びかけ」として面白かったとしている[34]。いわゆるオタク趣味者が互いを指して「二人称敬称として」使っている例は、1980年頃の彼らを描いた作品中に既に見られる[注 3]。
おたく族[編集]
中森明夫が『漫画ブリッコ』(白夜書房)誌上で1983年6月号から3回連載したコラム『「おたく」の研究[35]』において、「中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に『おたくら さあ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」と、その人間類型をおたくと呼ぶことが提案された。この文章は当時の読者から猛反発を買うことになり、同誌の編集者であった大塚英志との間で論争が繰り広げられた。最終的に中森は大塚により弾劾され本誌から永久追放されることになる(「研究」も3回で打ち切り)。この時の事を中森は最終回『岡崎京子・桜沢エリカはなぜ「ブリッコ」でウケないのか』中で「どうやらおた*ってのは差別用語に指定されちまったらしく使えなくなってしまったのだ」(原文ママ)[36] と述べている。
この件の背景については、ホーテンス・S・エンドウ(遠藤諭のペンネーム)によれば
最近では、……求人広告にまで使われているこの言葉は、もとはといえば、私の仲間らで、かれこれ7年ほども前に使い始めたものなのだ(この間の事情は当時某誌に連載された「おたくの研究」に詳しい) — 近代プログラマの夕 p.52(1991年9月)アスキー
とのことであり(雑誌掲載が1989年10月号、単行本が1991年刊なので、文中の「7年ほども前」は1983年のことであり符合する)、中森や遠藤らによる『東京おとなクラブ』関係者の内輪の用語から発したものとの説をとる。1989年発行の別冊宝島104号『おたくの本』では中森が「僕が『おたく』の名付け親になった事情」というタイトルで寄稿しており、「おたくの名付け親」は中森による自称でもある。
なお、長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』では、日本SFファンダムの父である柴野拓美が「年齢や立場の差を越えて、対等な関係を築ける、話し相手への呼びかけ語」として、「おたく」をポジティブな意味で使い始め、SFファンの間で流通したことが言及されている。
なお、「おたく」がマスメディアに取り上げられ始めた頃には、「太陽族」や「竹の子族」に準じて、「おたく族」と呼称された(ラジオ番組『ヤングパラダイス』より『おたく族の実態』など)。また、初期のコミックマーケットが開催された大田区産業会館「PIO」が語源なのではないかという俗説があるが、駄洒落でしかない。
「おたく」と「オタク」[編集]
大塚英志は「おたく」と「オタク」の違いについて、著書で以下のように述べている。
「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから文部科学省や経済産業省や、ナントカ財団の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえメディアなんとか芸術祭[注 4] という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートしていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ村上隆や宮崎アニメは今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」なエロまんがはやっぱり同じなんだよ、と、その始まりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。だから「オタク」が「おたく」であった時代を「オタク」にも「おたく」にも双方にきっちりと不快であるべく本書を書いた。 — 「おたく」の精神史 ―一九八〇年代論―(2004)、朝日文庫
また、「おたく」に含まれ「オタク」には含まれないものについては、以下のように述べている。
ぼくにとって『おたく』は、ひらがなです。宮崎勤を含むからね。岡田が東大で「オタク」って言葉を使った時点で、「宮崎の問題は置いておいて」とされてしまった。いわば「おたく」が脱色されたものがカタカナの「オタク」であって、そこから先に一連のジャパニメーション論議が展開していく。それこそ、ひらがなとカタカナのあいだの引き算の中で消費されていったものの中に村上隆なんかはいるわけだから。 — 『リアルのゆくえ』(2008) p5 講談社[37]
転用[編集]
「おたく」の語はそのイメージがある種の曖昧性を含むこともあり、軍事・兵器オタク(ミリオタ)・パソコンオタク・鉄オタ(鉄ヲタ)(鉄ちゃん、鉄子・鉄)、アイドルオタク(ハロー!プロジェクトヲタ、AKB48ヲタ、ジャニーズ(ジャニ)ヲタ、乃木ヲタ)その他○○オタク・○○オタ(例:ガンダムおたく→ガノタ)という風に、特定の対象・分野の愛好者、ファンを指す語として使われる。
秋葉原・日本橋とおたくの関係[編集]
消費者層としてのおたく[編集]
野村総合研究所の調べでは、マニア消費者層(いわゆる「オタク層」)の2004年の市場規模は主要12分野で延べ172万人、金額にして約4,110億円に上り、オタクに共通する行動特性を抽出したところ「共感欲求」「収集欲求」「顕示欲求」「自律欲求」「創作欲求」「帰属欲求」の6つの欲求にまとめられるという[38]。
近年では「萌えおこし」など、地域振興に役立てる例も各地で見られる。また、それに便乗した異業種からの参入も見受けられる。それらには消費者層としてのおたくの購買意欲を刺激するものから、安易な便乗商法まで玉石混淆である。
おたくの変遷[編集]
時代的遷移[編集]
オタクは「時代」に合わせて変遷してきた。
[external_link offset=2]前史[編集]
- オタクという語が成立する以前にも趣味に生活より多くの時間と金銭をつぎ込むものはおり、古くは趣味人や数奇者(和歌や茶道に熱心な者)と呼ばれた。たとえば戦国時代の武将古田織部などは「オタクの大先輩」と言われることもある。また近世では海外の文物を受容する傾向はマニア、フリーク、あるいはディレッタント[注 5] と呼称されることが多かった。海外文化の受容については表面的な模倣を重視する層をスノッブ、キッチュと蔑視し、あるいはその軽薄で表層的な受容態度を逆に珍重してみずからをそう呼称することもあった。コレクターは古くからおり、ウルトラマンやバービー人形、ドールハウスなどの玩具コレクターは大人の趣味として一定の評価があり、隠然として存在した。映画スターや歌手を熱狂的に応援するアイドル嗜好はマスメディアの発展と軌を一にし、原点は江戸時代の歌舞伎絵にまで遡れるかもしれない。
- また、1950年代中盤から末にかけてのSFファンダムが、後のオタクの母体となったという指摘もあり、子供向けと考えられていたものの中に、大人でも楽しめるものが存在し、また、作品から派生する二次創作、サークルやイベントでの交流など、オタクの特徴とかさなる部分がある。
昭和50年代のアニメブーム(1970年代後半~1980年代中期)[編集]
- この頃のアニメーション作品の中には、従来の児童向けに混じって、中高生などの青少年層を対象とした、比較的ドラマ性の高い物が増えたことも、アニメーションブームを加速させた要因に挙げられる。この現象において『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『ルパン三世』『うる星やつら』といった、一連のテレビ放送・劇場公開作品の大ヒットが、アニメ産業の急速な成長を促した。この頃は、侮蔑や否定的な意味合いが比較的少ないアニメファンという言葉で呼ばれていた。やや遅れて、当初は子供向けとして企画された『機動戦士ガンダム』が登場。中高生のアニメファンに人気を博し、「ガンダムシリーズ」と呼ばれる一連の作品群と固有ファン層を派生させた(「ガンダムおたく」が短縮された「ガノタ」という語も存在する)。
- そのような流れの中で、1978年(昭和53年)の『アニメージュ』をはじめとするアニメ雑誌の相次ぐ創刊、社会現象となったガンプラブーム、1980年(昭和55年)のアニメポリス・ペロ(創業当時は「アニメショップ――」)や、1983年(昭和58年)のアニメイトなどの専門店の創業などにより、児童向けでないアニメ市場の存在が認知され始める一方で、そのころ既に「オタク」的な人種がアニメファンに存在していたことから、主として一定の文化的価値を認められつつあった旧来の漫画・SFマニアから、新興のアニメ、及びそのようなアニメファンに対するネガティブな態度を反映して、過度なアニメファンが「おたく族」という蔑称で呼ばれ始める。
バブル景気時代とおたく差別(1980年代末期~1990年代前半)[編集]
- バブル景気の頃から、プロダクション制導入に伴う大量生産期となり潤沢な資金力・労働力を背景に表現力が高度化したアニメーションに対し、尋常ならざる興味を抱く人が増加した。また同時期、バブル景気に伴う余暇時間と可分所得の増大からテレビやビデオデッキ・高価なオーディオセットを個人用に購入するケースが増え、それらに耽溺する人が増えたことも、おたく増加の要因として挙げられる。この頃、「おたく」という人間類型の呼称が確立し一部では社会現象として着目され始めたと言われる。1985年(昭和60年)には『スーパーマリオブラザーズ』が爆発的にヒットしファミコンおたく・ゲームおたくが登場し、ゲームに没頭し学業を疎かにする児童・学生が次第と社会問題となる。従来はサブカルチャー趣味を持つ者の間で使われる隠語に過ぎなかった「オタク」であったが、1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人がオタクの一面を持ち合わせていたことから世間一般にもに知られるようになった。また、オタク文化はバブル景気全盛期によるフジテレビや電通、ホイチョイなどのネアカ文化や恋愛至上主義的なトレンディ文化とは正反対の文化であったため、当時は世間から理解され難く、事件ならびに犯人像の異様さも相まっておたく差別が激化することになった。この頃はおたくという言葉はほとんど蔑称や差別用語として使用されており、NHKでは放送禁止用語となっていた。
セカイ系ブームとゲーム全盛期(1990年代後半~2000年代前半)[編集]
- 哲学的な問いを視聴者に対して想起させる『新世紀エヴァンゲリオン』の登場は、漠然とした不安を抱える青少年層に強い影響を与え、関連事象(「セカイ系」)は社会現象とまで言われた。エヴァ放映直後の1996年(平成8年)5月に、岡田斗司夫は自著『オタク学入門』その最終章で、「オタクは日本文化の正統継承者である」と主張している。
- また、家庭用テレビゲームやパソコンゲームの高度化と普及に伴い、ゲーム市場が広がったことは、ゲーム関連企業にとっては大きな福音となり、多数のゲーム制作会社が勃興を繰り返した。1995年(平成7年)に、Microsoft Windows 95が発売され、家庭へのパソコン普及が進んだことで恋愛ゲームおたく・エロゲおたくなどが一般化した。またときめきメモリアルシリーズなどがキラーコンテンツとなり家庭用ゲーム機の世代交代が進んだ。パソコンやゲーム機の普及は、かつての専門家やマニア主導ではなく、娯楽家電の一種として家電製品並に普及したこともあり、裾野の広い市場を形成した。その一方でおたく向け商品の市場も拡大し、電気街として知られた秋葉原の様相を、漫画・アニメ・ゲームの街として激変させるに至っている。
- この時期には「泣きゲー」と呼ばれるジャンルのPC用アダルトゲーム、美少女ゲームがオタクの間で多数ヒットした。
- 特撮業界では2000年代初頭からイケメンヒーローブームが起こり、児童のみならず女性層や大人(大きいお友達)から支持されるようになった。
- バブル崩壊により「終わりなき発展」という物語の崩壊と同時に開いた穴を埋めるため、フィクションやネット・ミームによる皮肉な会話、そして内輪のジョークで成り立つ2ちゃんねるや4chan(ともに西村博之が管理人)などのオンライン・スペースへと人々は避難し、やがて国内外のオタク・コミュニティの中からネット右翼やオルタナ右翼を生んだ[40]。
一般市場化と氾濫(2000年代後半)[編集]
- コアなおたく向け商品が一般市場から見て特殊な商品群(ニッチ市場)であることに変わりはなかったものの、数多くのオタク向け作品が登場する中でDVDの普及により、かつての「ビデオテープ・ソフト一本1万円弱」などという傾向がなくなり、3千円〜5千円で安価に販売される映像ソフトの販売が一般化した。コンビニエンスストア店頭でも数多くの映画・ドラマ・アニメのDVDが販売されるようになると、「ビデオソフトを買って観る」という、かつてはコアなマニアやおたくに限定されたことを一般の消費者がするようになり、一般の社会でも普通に売られ普通に買われていくようになる。このためヤンキー文化、渋谷系などの、かつてはおたくと縁遠いと見られていた要素とおたく文化の結合も観察されるようになった(痛車の要素を取り入れたVIPカー、渋谷系を取り込んだアニメソング「アキシブ系」など)。
- 2005年(平成17年)には、おたくを肯定的に描いた『2ちゃんねる』発の恋愛物語『電車男』がドラマ化・映画化され共に大ヒットし、おたく差別は徐々に弱まっていく。また、ビブロスにより第1回全国統一オタク検定試験が実施され、これはテレビや雑誌、ネット、海外の通信社からも大々的に取り上げられた[41]。更に同年の流行語大賞に「萌え」及び「メイドカフェ」がノミネートされるなど、一般社会へオタク文化が急速に浸透し始め、オタク及びオタク文化がポジティブに語られることが少しずつ増えていった。アイドルグループ『AKB48』の結成もこの年である。
- この時期から、中川翔子などのオタク趣味をウリしたタレントや芸能人が増加するようになった。
- こうした状況は経済界も注目し、たとえば、野村総合研究所の調査ではオタク市場(自作パソコン、アニメ、ゲーム、アイドル、コミック市場の合計)の市場規模は2900億円である。また、経済産業省は、日本のコンテンツ産業の国際展開の促進という観点から注目していた。
- アニメでは京都アニメーションの『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)や『らき☆すた』(2007)といった空気系、セカイ系作品がライトファンにもヒットし、インターネットコミュニティ上でも『ニコニコ動画』(2006)などの動画投稿サイトで「踊ってみた」や『初音ミク』などが盛り上がるようになった。
- 鉄道業界においては鉄道むすめや姫宮なななどといった萌えキャラに加え、アニメとのコラボレーションが次々と行われるようになる。
- また、「聖地巡礼」や「萌えおこし」と称されるイベントが盛んとなり、特に『けいおん!』と滋賀県の豊郷町立豊郷小学校、『らき☆すた』と鷲宮神社などの例が挙げられる。
- ゲームではニンテンドーDS、PlayStation Portableで多くのソフトが発売され、特に『モンスターハンター』は脚光を浴び、「モンハン持ち」という独特のプレイスタイルが知られるようになった。
- PC用ゲームソフトでは上海アリス幻樂団の『東方Project』やTYPE-MOONによる『月姫』、Fateシリーズの同人作品が有名となる。また、この時期からコンテンツないしそれに触れる人口が急増したことにより一般的な文化になりつつあった。一方で、おたく市場向けのいわゆる「萌えゲーム」がキャラクターの特徴のみを先鋭化させた、マニアにしか分からない世界と成りつつあり、衰退してしまうおそれがあるとする危惧もあった[42]。
- この時代に、オタクの聖地として秋葉原や中野ブロードウェイの存在が世界的に有名になり観光地化し、オタクでない日本人の他に、外国人観光客も訪れるようになった。
オタクのメインストリーム化(2010年代~2020年代)[編集]
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出典検索?: “おたく” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年12月)2010年以降、テレビ,電子掲示板,TwitterなどのSNSなどでオタク文化が拡散したことで、マニアックな話題で交流を行うことが広く理解された。外国人からの注目もあり、日本政府がクールジャパン戦略で観光資源として活用するまでに至っている。
- 1990年代後半から2000年代半ばにかけて、オタク文化の中心的存在の一つだったアダルトゲーム(エロゲー)がソフトの高価格やコンテンツの多様化などの様々な理由で、衰退傾向に歯止めがかからなくなっている。一方、AndroidやiOSなどによるスマートフォンの急速な普及により、美少女キャラを起用したブラウザゲームやソーシャルゲームなどがおたく界で主要な位置を占めるようになった。
- 中国語圏(中国本土、香港、マカオ、台湾)では日本のアニメや声優、漫画、ライトノベル、ソーシャルゲームなどがすっかり浸透し、逆に日本に輸入される中国・台湾産コンテンツも増えはじめている。[要出典 ]
- アイドル業界では2010年代前半に『AKB48』や『ももいろクローバーZ』などのブレイクによりアイドルブームが起こり、「アイドル戦国時代」と言われる状況にもなっていた。AKBのヒットにより、「推し」という言葉が一般化した。
- 1990年代後半から徐々に進んできた、おたくの低年齢化、カジュアル化の傾向が『鬼滅の刃』の大ヒットによって一層進んでいる。おたく文化にカジュアルに親しんできた世代(おたく第三世代)が社会の中核を担う年代にさしかかりはじめ、もはやおたく文化はかつての「サブカルチャー」ではなくなり、主流文化に取り込まれている。地方自治体や公的団体、一般企業などにおいて、おたく文化で地域のPRやイベントに取り組む萌えおこしの動きが盛んになっている。また、おたく文化の一般化と多様化に伴い、若い頃はおたく文化との接点をあまり持たなかった人が、熟年となってからおたく文化に関心を持ち、趣味を通じて下の世代のおたくと交流を持つ例も見られるようになってきた。
世代的遷移[編集]
時代的変異についてであるが、ここではオタク文化についての世代について述べる。時代の変化に合わせておたくも変化してきた。1960年代生まれを第1世代とし、1970年代生まれを第2世代、1980年代生まれを第3世代とする、東浩紀の行った分類が現在の議論で広く用いられている[43][44]。ここでは個人の違いは捨象し、世代ごとの傾向を概観する。
- プレおたく世代(1950年代生まれ)[45]
- 基本的にSFファンで、劇画の登場により漫画は大人も読むものとして認められつつあったが、「アニメは子どものもの」という風潮の中で育った。「しらけ世代」と言われた世代にあって、成人後も趣味的に漫画を描いたり、漫画・アニメ・SFを特に好み玄人はだしの評論を行う一群が現れ、彼らはマニアと呼ばれた。彼らが開催したSF大会や日本漫画大会などは、その後の同人誌即売会に繋がる文化の先駆けとなった。
- オタク第一世代(昭和三十年代/1960年代生まれ)
- 『宇宙戦艦ヤマト』に始まるアニメブームを起こし、コミックマーケットなど現在に至るイベントの基礎を築いた。「新人類」と言われた世代であり、幼少期には『ウルトラマン』『仮面ライダー』『マジンガーZ』といった怪獣・変身ブームの洗礼を受け、しばしば特撮への嗜好を持つ。
- 少年期にSFが世界的なブームを迎え、その作品は日本のおたく文化にも大きな示唆を与えた。彼らが好んだ漫画やアニメ、SFは、学生運動を主導した焼け跡世代や団塊世代の抱いていた社会変革思想の対抗物として意識されていたため、彼らのオタク趣味全般に韜晦や理論化・体系化への指向が強い場合が多く、オタクコミュニティ内のジャーゴンとしてキーワード化を行っていた。
- オタク第二世代(昭和四十年代/1970年代生まれ)
- 幼少期に『機動戦士ガンダム』に代表されるアニメブームの洗礼を受け、広くアニメなどが趣味の範疇に受け入れられた。これらの作品がSFを基底として、架空の技術体系を構築する手法をとったため、提供される側はその架空の技術体系を網羅したがる方向性も見られる。「ガノタ」(ガンダムオタク。ガン―オタが綴りから“ガノタ”と変形)に代表されるシリーズ作品内の知識体系のみに耽溺し、現実の知識体系とのすり合せを行わない傾向(物語消費)も派生させた。
- 末期新人類(バブル世代)と団塊ジュニア、1970年代後半生まれ(つながり世代)に相当し、1980年代のテレビゲーム・パソコン趣味の担い手となり(ファミコン世代)、『少年ジャンプ』に代表される日本の漫画の隆盛期を担った。また、この時期にはライトノベルが成立し、この世代以降、日本のおたく文化の影響を受けた海外コンテンツの”逆輸入”が盛んになる2010年代までは海外作品とおたく文化の繋がりは希薄になる。ロボットアニメ最盛期に育った世代でもあり、プラモデルもこれらの作品に関連した製品が登場して一大市場を築き、その受け手(消費者)となった。
- なお、この世代の親(1940年前後生まれ)は、『仮面ライダー』の石ノ森章太郎や『機動戦士ガンダム』の富野由悠季、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿など、アニメ、特撮の大作家が多い世代である。
- オタク第三世代(昭和五十年代/1980年代生まれ)
- 1990年代後半に『新世紀エヴァンゲリオン』の洗礼を受け、セカイ系と言われるムーブメントの担い手となった。この時期にはアニメやコンピュータゲームが趣味の一つとして市民権を得るようになり始め、メインカルチャーとサブカルチャーの差が薄れた時代に育った。そのため、オタク趣味に後めたさや韜晦意識を持たず、単に多様な趣味の一つとして、アニメやゲームを楽しむ者も増えた。
- 1980年代後半に生まれた世代(ネット娯楽世代)は、高校時代までにインターネットが普及し始めた世代であり、インターネットをテレビや雑誌などと同質の情報媒体として利用していることが窺える。これは、1970年代後半に生まれた世代(つながり世代)が、インターネットを独立した一つのメディアとして捉えたのとは対照的である。
- 第三世代以降の世代ではオタク趣味が一般的なものとなり、おたくコミュニティの拡散化と嗜好の分裂化・多様化がかなり進んでいる。
- オタク第四世代(1990年代生まれ)
- インターネット利用が一般的な環境の中に育ち、従来の世代が遊び場や友達・仲間を広場や公園・路地裏に求めたのと同質の感覚で、コンピュータネットワーク上のネットコミュニティにも求めていった世代である。インターネットなどを通じて知った海外のアニメ・コミック作品に傾倒したり、復刻ブームから1960年代~1990年代のアニメや漫画や玩具が容易に手に入るようになったことから、親(オタク第一世代)の少年時代に流行した作品やアイドルに熱中するおたくも相当数生まれており、ある種の世襲制度のような状況も生まれている。
- 第三世代と第四世代は世代文化にあまり違いがなく、嗜好や文化のかなりの部分が重なる。第三世代以降のおたくは、おたくであることに誇りを持ち、おたく趣味を楽しむことに対する恥や韜晦の意識がほとんどないことが、従来の内輪で楽しんでいた第二世代以前のおたくからは違和感を持たれることが多い。ヤンキーでありながらおたく趣味を好む者も現れ、いわゆる痛車やレディース(女性暴走族)によるコスプレ[46] などに見られる暴走族文化との融合という現象も発生している(→暴走族#社会の対応)。
- オタク第五世代(2000年代生まれ~)
- いわゆるZ世代であり、PCよりもスマートフォンでインターネットに触れる機会が多くなった世代。ソーシャルゲームの流行や街頭広告への採用などによって、いわゆる萌え絵にほぼすべての層が触れるようになった。かつてサブカルチャーだったアニメ、漫画、ゲームは『君の名は。』や『鬼滅の刃』のメガヒットに代表されるように、かつての野球観戦やトレンディドラマ、jpopのような時代を象徴してほぼ誰もが触れる普遍的な大衆文化となっている(ただし趣味の多様化に伴い、個々人が好むジャンルは多岐に渡る)。また米津玄師以降、VOCALOIDのプロデューサーとして活動していたアーティストが作曲を行い、J-POP音楽シーンの中心として全国的な人気を集めている。
- オタクという呼称そのものも半ば陳腐化し、「オタ」と気軽な呼び方で使用されるか、「鉄オタ」「特撮オタ」のようにアニメ、漫画、ゲーム以外のジャンルのオタクに対して使用されることが増えた。オタとだけ言えば基本的にアニメ、漫画、ゲーム、アイドル趣味を指すようになったため、「アニメオタク」という表現はほぼ姿を消した。「オタク第五世代」についての定義や研究は少ないが、これは若者文化あるいは2010年代以降の文化を研究することが、そのままオタク第五世代(と仮称される)文化の研究になるからだと考えられる。
おたくと地域性[編集]
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日本[編集]
おたくの在り様に関しては、日本でも地方によって専門店の有無・関連媒体の流通量やコミュニティによって、若干の地域性が見出せる。この中には21世紀に入って急速に各県庁所在地を中心に、おたく向け専門のチェーン店が進出するなど一様化も進むが、それでもコミックマーケットなど大都市圏に集中しがちな大規模な催しもの(イベント)や、地域によってアニメ放送本数の格差もあり、2000年代以降でも依然として「東京都心周辺」「政令指定都市および首都圏・近畿地方・中京圏・福岡・北九州都市圏」「県庁所在地」「その他の市・町・村」において「おたくの地域格差」も見られる。後述するように、特定の地域にそれら文化発信拠点が集中して発展する様子も見られる。
- 一般的に、北海道地方や東北地方はおたくにとって厳しい環境だといわれていた。しかし北海道・東北地方の中心都市である札幌市・仙台市などの政令指定都市ではとらのあな・メロンブックスなどの出店が進んでいる[47]。ただし仙台市がある宮城県にはおたく文化の発信源の一つであるテレビ東京系列局がない事情がある。2011年以降テレビ東京系列局が開局する計画があったが、ネット社会到来の影響からか2014年現在でも実現していない(仮に開局されたとしても、仙台市以外の地域で視聴できるとは限らない)。なお、東北地方や新潟県に関しては保守的な地域と思われがちだが、大都市圏以外の地方と比較して特に保守的であるという根拠はなく、宮城県・岩手県・新潟県などはむしろ全国的にも突出して多くの漫画家やクリエイターを輩出している。
- 同じ「地方」でも、瀬戸内の広島市・岡山市・松山市や、北陸の金沢市・新潟市は大手ショップなどがある程度進出しており、また地場資本のショップも多いなど、おたくにとって比較的暮らしやすい地域であると言われている。また、徳島市では年に2回マチ★アソビが行われ、地域ぐるみでのイベントが充実している。
- ケーブルテレビやBS・CSデジタル放送放送の普及、またYouTubeの登場やネット通販の浸透などによって地域格差は若干ながら緩和されつつある一方で、大都市圏から外れた地域(特に仙台市周辺以外の東北地方、テレビ北海道送信エリア外(道東方面)の北海道地方、石川県・新潟県以外の北陸地方、瀬戸内以外の中国・四国地方、福岡県以外の九州・沖縄の各県(特に長崎県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県)はネットやCS環境が整っている現代においても、オタク文化が育たないとされている。しかし、そうした地域においてもオタク文化が盛んになって来ているところがある。宮崎県は宮崎市中心市街地にある一番街にメイド喫茶が、南宮崎駅前のビルにはアニメグッズを取り扱うカフェもオープンしたりオタク系DJイベントが開催されたりしている。ただし、オタク文化が育たないとされている地域は元々それらが盛り上がる土台がなく、そもそもおたく向けのアニメが放映されていない場合が多い。そのため、オタク系イベントをしていても地元出身アニメーターの原画展のような小規模の物のみである。県外からの集客を期待できる大規模なオタク系イベントを開こうと企画できる人物に乏しい上、ほとんどの県の関係機関も協力に消極的であるため開催できない。実際、同人誌即売会もコミケットの関わらない小規模の物しか行われていない。さらにアニメイト以外の大手アニメショップが進出する気配が全くなく、過疎化や都市への若者流出、少子高齢化でオタク街ができる程にはならないなどオタク文化が育つ可能性はゼロに近い。
オタク文化の海外での受容傾向とその変化[編集]
海外では1990年代中後半より、一種の尊敬の意味を込めてオタク (Otaku) が使われていた。アニメ (Anime) を始めとする日本発のポピュラーカルチャー愛好者を指す名称であり、好んで自らを Otaku と称するものも存在した。
中華人民共和国でもおたく(御宅族)は日本と同様にゲームやインターネットなどといった屋内で遊べる娯楽に没頭、あるいはサブカルチャーなど特定の分野に詳しい人を指す言葉として定着している。そのイメージから、一般的な人々と比べると外出頻度の少ない人を指すこともある。現代では日本のコスプレ文化やアニメ・漫画・ゲーム(ACGと総称)に触れることが容易になっており、若年層を中心にサブカルチャーに興味を持つ人が増え、中国独自の文化も育ってきている。
中華民国(台湾)では映画『電車男』の上映以来、「オタク」の中国語表記として「阿宅」や「宅人」、「宅男/宅女」などの言葉が見られるようになった。メディアによって誇張されたそのイメージから本来の意味とは別に「外出頻度の少ない人」の意味として使用されることもある。
なお、日本のポップカルチャー全般を熱心に愛好する「日本おたく」は哈日族と呼ばれる。
オタク文化に対する日本と他の国における認識・受容の違い[編集]
オタク文化に対する受け止め方は、日本および中国語圏と、それ以外の国においてはいくつかの点で異なる。その一つが欧米で古くから盛んに行われているファン大会 (Convention) という活動で、その年齢層も幅広い。
アニメコンベンションにおいては、Fan-cos や Reenactment (史的事実再現)と呼ばれるコスプレが行われる。SFやファンタジー映画の公開に観客がコスプレをしてくることが一般的であるように、ファン大会会期中、会場外でもコスプレを行うことが許されており、会場となる地域の市民もそれをイベント的なものとして受け止めている。コスプレ自体は日本でもファン活動として一般的だが、日本では会場外でコスプレ衣装のまま行動するのは「禁忌」という暗黙のルールが存在する。軍装や警察官のスタイルをする者もおり、これが軽犯罪法(第1条第15項)に抵触するためである。
ただし、欧米においても Fan-○○(二次創作のイラストやマンガ、小説、マンガ・アニメ作品の翻訳)といった形で活動が行われることはあるが、日本の同人誌即売会などに見受けられる商業的な行為との結び付きは殆ど見受けられない(寄付を求めることはある)。むしろ、採算を度外視して純粋に活動を楽しみ、ファン大会では交遊や情報交換を楽しむといった傾向が強い。
英語における「おたく」の類似語[編集]
英語(米語)では、日本でのオタクに近い意味を表すためにはNerd(ナード)という言葉で表現され、パソコンオタクや電子工作オタクを指す場では geek(ギーク)が用られる。また(wizard)ウィザードの略語である(wiz)ウィズを単語の後に付けコンピューターウィズなどと使う表現もある。しかしこれは魔法使いと言う意味も含むため宗教的問題から、近年は余り用いられることはない。また、日本のおたく文化を愛好する層はWeeaboo(ウィアブー)と呼ばれ、日本のアダルトゲーム(エロゲ)を由来として、オタクのことを(日本語の意味を知らずに)”hentai”と呼ぶアメリカ人もいる。
- アメリカのナードに付いて歌われた曲White & Nerdy参照。
- geek
- nerd
- dork, dweeb, goon, および doofus など
- いずれも「間抜け」「弱虫」「無能」といった否定的な意味合い。スクールカースト下位者に対する蔑称。
- Anorak
- 主としてイギリスの鉄道マニアに対する蔑称。アノラックを着る者が多いことから。
- Weeaboo, Wapanese, Weeb
- 三つとも欧米人に対して欧米人が使用する、「日本かぶれ」という意味の単語。
オタク街・おたくに関係する地域・地域関連事象[編集]
おたくの文化・消費行動に特化した業態が集中する地域や、またはその地域に関連して発生した事象など。
- 札幌駅前〜狸小路(札幌市) – 駅前には大手電化製品量販店、狸小路までの街道にはいくつかのオタク向け店舗がある。
- 仙台駅・仙台朝市周辺(仙台市) – 特に西口の「イービーンズ」に密集しており、「エンドーチェーン仙台駅前店」時代は人気声優を招いてイベントを行ったりもしていた。
- 水戸駅周辺(水戸市) – 北口のマイムビル(旧丸井)にアニメショップや同人ショップが密集している[48] 他、南口にも家電量販店(かつては北関東唯一のソフマップもあった)があり、OPA(水戸サウスタワー)にはアニメガ(マイムビルから移転)がある。両ビルでは近隣の大洗が舞台の『ガールズ&パンツァー』のオンリーショップが出店したことがある。
- 曲師町・オリオン通り(宇都宮市) – 「宇都宮Festa」にオタク系ショップが密集するほか、近隣にはコスプレ喫茶がある。また、中核市では唯一まんだらけがある。2012年にはらしんばんが出店し、同人ショップの激戦区となりつつある。
- 大宮駅周辺(さいたま市) – 大宮駅西口にアニメショップなどが集中している。なおとらのあなは東口にある。
- 秋葉原(東京都) – 電器店で売られるパソコンや家庭用ゲーム機とそれらのゲームソフト、各種映像・音楽ソフトなどからオタクの街へとし発展していった。男性向けの最新作品を扱う店が多い。AKB48の本拠地でもある。
- 神田神保町(東京都) – 過去に1980年代から1990年代初期にかけて、同人誌やアイドル関係のグッズを扱う店が集積するオタクの街として知られていた。
- 池袋 (東京都)- 「乙女ロード」(または「オタク通り」)と呼ばれる地区があり、男性中心の秋葉原に対し、女性のオタクや腐女子の人気を集めている。
- 中野(東京都) – 「中野ブロードウェイ」は「オタクビル」の異名を持ち、まんだらけを筆頭に様々な書籍やアニメ、ゲーム、模型、フィギュアなどを取り扱う店が多数入居している。中古品を扱う店が多い。
- 立川(東京都) – コトブキヤ本社があるほか、フロム中武や閉店した第一デパートに数多くのオタク向け店舗が入居していた[49]。
- 大須・名駅(名古屋市) – 大須は電気街、オタク街でもあるがアメリカ村のような古着の街でもあり、巣鴨のような老人の街でもある。OS☆Uの拠点。なお、全国に出店している大手アニメショップは名駅周辺に多い。
- 放送会館(福井市)- 福井放送旧館。模型屋や同人誌の店が集中している。近隣にはアニメイトも。
- 日本橋(大阪市) – 秋葉原、大須と並んで日本三大電気街の一つ。秋葉原のようにオタクの街でもあり、堺筋や「オタロード」を中心に多くのオタク向け店舗が軒を連ねる。「東のアキバ、西のポンバシ」と呼ばれる存在である。
- 寺町通・京都駅周辺(京都市) – 密集度は低いものの、アニメ・ゲーム・ホビー関連の店が数多く立地している。また、四条寺町以南はパソコンショップが目立つ。京都駅周辺には大手電気店が多く立地し激戦区となっている。
- 三宮(神戸市) – 「センタープラザ」西館の2階、3階にアニメショップやホビーショップなどが特に密集している。
- 岡山表町商店街(岡山市) – 中四国随一のメイド喫茶街でもあった。
- 紙屋町(広島市) -「大手町通り」より西側を中心に家電量販店、パソコンショップやアニメ、ゲーム、同人誌専門店などが並んでおり、さながら広島の秋葉原といわれている。
- 千舟町・銀天街(松山市)- アニメショップやメイド喫茶、コスプレ専門店、ジャニーズショップ、アイドルショップ、アイドル劇場などが集中しており四国最大のオタク街を形成している。
- 徳島駅前ポッポ街周辺(徳島市) – 南北2棟の2階建てで構成される屋根付き商店街。2Fにはサブカル系出版物・キャラクター商品が多数販売されている南海ブックス1・2号店(井上書房が運営)がテナント入居。うち南海ブックス2号店は成人向けのゲームタイトル・商品・出版物を中心に販売している。かつてはメイド喫茶やコスプレ用品の専門店が存在したが閉店、アニメイト徳島(こちらも井上書房が運営)は東新町商店街に移転し、オタクの街としての機能は分散した。ufotable主導により毎年数回開催されている大型サブカル系イベントマチ★アソビの主要会場の1つである。
- 小倉(北九州市) – 「あるあるCity」はアニメ、漫画、ゲーム、ホビー、アイドル、お笑いなどサブカルチャーに特化した新しい商業施設となっている。
- 北天神(福岡市) – 北天神地区におたく関連のグッズを取り扱う店舗がやメイド喫茶が増えている。
- 天神(福岡市) – アニメショップやアイドル劇場が集積している。「福ポップ」はアニメ限定ショップなどのサブカルチャー発信地となっている。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ オタクとセクシュアリティを結びつけて捉えるのは、大塚英志や前述の斎藤環の論と同様である[27]。
- ^ 相手の自宅などを「御宅」と呼称する様式は日本全国に見られ、相手に対する一般敬称「御宅様」についても広く見られる。東京方言の「宅」は直接的には自分の夫を指し、「お宅の」は相手の夫を指す接頭語である[32]。私的な場面で用いる二人称敬称としての「お宅」は鈴木孝夫によれば一部のサラリーマン階級から始まったとされ、「あなた」でも「おまえ」「きみ」でもない、ヒエラルキー(身分・階級)に無関係な対称語を求めていた彼らの無意識の努力の現れではないかとする[33]
- ^ 大和真也のデビュー作「カッチン」、辻真先「宇宙戦艦富嶽殺人事件」、など
- ^ 文化庁のメディア芸術祭のことと思われる
- ^ 英,伊:dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 岡田斗司夫『オタク学入門』新潮社〈新潮OH!文庫,〉、2000年。ISBN 0908603917。
- 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮社〈新潮新書, 258〉、2008年。ISBN 0908603917。
- 榎本秋『オタクのことが面白いほどわかる本 : 日本の消費をけん引する人々』中経出版、2009年。ISBN 0908603917。
- 別冊宝島編集部編『おたくの本』宝島社〈別冊宝島104号〉、1989年12月
- 別冊宝島編集部編『「おたく」の誕生!!』宝島社〈宝島社文庫〉、2000年3月
関連文献[編集]
- 相田美穂「現代日本におけるコミュニケーションの変容 : おたくという社会現象を通して」『広島修大論集. 人文編』第45巻第1号、広島修道大学、2004年9月30日、 87-127頁、 NAID 0908603917。
- 相田美穂「おたくをめぐる言説の構成 : 1983年〜2005年サブカルチャー史」『広島修大論集. 人文編』第46巻第1号、広島修道大学、2005年9月30日、 17-58頁、 NAID 0908603917。
- 石井久雄「「おたく」のコスモロジー」『日本教育学会大會研究発表要項』第57巻、日本教育学会、1998年8月23日、 120-123頁、 NAID 0908603917。
- 難波功士「戦後ユース・サブカルチャーズをめぐって(4) : おたく族と渋谷系」『関西学院大学社会学部紀要』第99巻、関西学院大学、2005年11月8日、 131-153頁、 NAID 0908603917。
- 山口麻希, 西崎雅仁、「オタク文化の経済価値に関する経営学的考察」『経営情報学会 全国研究発表大会要旨集』 2010年秋季全国研究発表大会 セッションID:C2-2 , doi:0908603917/jasmin.2010f.0.38.0, 経営情報学会
- Michael Lopp『Being Geek――ギークであり続けるためのキャリア戦略』オライリー・ジャパン。ISBN 0908603917。
関連項目[編集]
- オタ芸
- 同担拒否
- ロリコン
- ペドフィリア
- ピーターパンシンドローム
- 萌え
- 腐女子
- 電車男
- アニメ
- アニラジ
- 特撮
- アイドル
- 漫画
- ゲーム
- 大きいお友達
- ナード(欧米における“おたく”)
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